戦国時代には現代のような国家資格としての「薬剤師」は存在せず、医師である「薬師(くすし)」が診察から薬の調合までを一貫して行っていました。
当時は医薬分業の概念がなく、医療の専門知識を持つ者が自ら薬草を組み合わせて治療を施していました。
戦国時代の「薬」とそれを扱った人々について、以下の3つの視点から解説します。
- 薬を扱った専門家たち
侍医(じい)と典医(てんい): 大名お抱えのトップクラスの医師たちです。
代表例として、豊臣秀吉の側近を務めた施薬院全宗(やくいんぜんそう)や、武田信玄や徳川家康に仕えた永田徳本(ながたとくほん)が有名です。
金瘡医(きんそうい): 戦場での外傷治療に特化した、いわば軍医です。
止血剤や膏薬(こうやく)、漢方内服薬を自ら調合・処方し、南蛮貿易でもたらされた西洋の医療技術やアルコール(アラキ酒)も活用していました。
忍者(にんじゃ): 隠密行動を支えるため、独自に生薬の知識を持っていました。独自の携帯食や傷薬、毒薬などを調合する「薬師」としての側面も強く持っていました。
- 戦国武将たちの「調合マニア」な一面
戦死よりも病死が多かった戦国時代において、薬の知識は命に直結する必須スキルでした。そのため、武将自らが「薬剤師」のように薬を研究・調合することもありました。
徳川家康: 歴史上屈指の「薬草オタク」として知られています。
自ら漢方薬をすり鉢で調合し、八味地黄丸(はちみじおうがん)などの持病薬や、暑気あたりに効く「御笠間薬(おんかさまやく)」を陣中薬として常備・愛用していました。
織田信長: 医療の重要性をいち早く見抜き、伊吹山(滋賀県)にポルトガルの宣教師を招いて広大な薬草園を開墾させ、薬の自給体制を整えていました。
- 当時の薬学の拠点
現代で薬といえば富山県が有名ですが、戦国時代の薬学・医学の最先端拠点は京都や堺(大阪)でした。
中国の明(みん)から最新の医学・漢方知識がこの地に流入し、大名たちはこぞって京都や堺から優秀な薬師を招聘したり、高価な輸入生薬(南蛮薬・唐薬)を買い求めたりしていました。








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